夕陽妄語「戦争はほんとうにあったんだろうか」

朝日新聞朝刊
070825(土)
p29
夕陽妄語
「戦争はほんとうにあったんだろうか」
加藤周一

070825_02.jpg

 二〇〇七年の八月一五日に「朝日新聞」(東京本社版)の「声」欄は、一九四五年の八月に房総半島の海軍基地で水上特攻艇の整備をしていた武藤勝美氏の回顧談を掲載した。
 武藤氏はそこで日本国の降伏を知り、特攻艇数十隻を油に運んで沈めた後、復員の準備をして数日後には鉄道で東京に向かった。彼はその列車の窓から「広々とした蒼(あお)い海で数人の子が泳いでいる穏やかな風景」を見る。そして「戦争は本当にあったんだろうか」と思う。「8月15日が来ると不思議にあの光景が鮮明に蘇(よみがえ)ってくる」というのである。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 これは戦争と平和の対照ではない。戦争はもちろん現実にあった。海に沈められた特攻艇は悲劇的な戦争の象徴である。海に遊ぶ子供たちの光景は、平和な日常性の表現、戦争さえもが遂(つい)に破壊し去ることのできなかった日常生活の秩序の表現である。
 一つは特攻艇の象徴する世界。もう一つは遊ぶ子供たちの世界。その二つの世界は全く別の目標と文法をもち、その一方から他方を見れば、相手が現実にはほとんど存在しなかったようにみえる。現在すなわち四五年八月一五日以後少なくとも数日間に、遊ぶ子供の世界の現実感は、あらゆる過去を消し去るほど強烈であった。
 その後八月一五日が来る度に鮮明に思い出すのは、当然四五年八月一五日現在の光景でなければならない。武藤氏がここで語ったのは、二つの世界それぞれの叙述の並列ではなく、-その相似や差異、比較や対照ではなく、相互に到達不可能な関係の内面化である。故に現在の世界の象徴は、概念でも、気分でもなく、直接に感覚的な海と子供、その「鮮明な」風景であった。
 これを裏返してみれば、戦場からの多くの帰還者が家族や友人に対して沈黙を守った理由だろう。二つの世界の断絶感は、しばしば「話しても理解されないだろう」という絶望感に近い。その意昧で武藤氏の「あの光景」の経験は孤立していなかった。
 しかし戦争と平和の二つの世界の間に、断絶ではなく、一種の、または数種の関係を見る見方もあり得る。たとえば戦争を経験した世代と経験しなかった世代がある。彼らは明らかに同じ経験を共有しなかったが、相互の理解があらゆる点について不可能であるとは限らない。
 戦争経験世代も、非経験世代も、それぞれの戦争讃美(さんび)または反対の気分や意見をもつ。その源流を辿(たど)れば四五年八月一五日の「玉音放送」=降伏宣言に対する態度、または反応にまでゆきつくだろう。反応の基本的な類型には三つがあって、その間には交流があった。
 第一、「これで生きのびられる」という安堵(あんど)感。これは極めて少数の狂信的な人物を除けば、ほとんどすべての日本国民が共有した感情であろう。第二、第三の反応はまったく逆で、一五年戦争を支持した人々と戦争反対の意見を譲らなかった人たちである。
 第二の類型は支持した圧倒的な多数派であり、彼らの多くは「大東亜共栄圏」や「聖戦」の旗じるしを信じ、不敗の陸海軍を疑いはじめてはいたけれど、まだ奇蹟(きせき)がおこる可能性に期待していた。八月一五日の「呆然(ぼうぜん)自失」は、当時もっとも有名な文学者の一人、武者小路実篤の言葉である。
 国家の敗北、それまで信じてきた価値の崩壊、呆然自失。最初の反応が呆然自失よりも号泣だった人もいた。要するに八月一五日に敗北のみを見た多数の人々には、それぞれの温度差があったということである。
 第三、二〇年代から生き延び、三〇年代の超国家主義政府の弾圧に牢獄(ろうごく)の内外で耐え続けていた少数の社会主義者、共産主義者、自由主義者、キリスト教徒、殊に無教会主義者など――彼らは弾圧からの解放を歓迎した。誰が歓迎しなかったろうか、牢獄からの、検閲からの、極端な人権無視からの、「治安維持法」からの、それらを集めて仮に「ファシズム」という言葉を用いるとすれば、日本ファシズムからの解放を。
 その解放に敗戦後にさえも日本政府は積極的でなかった。今では周知のように解放を押しつけたのは占領軍である。故に敗戦と占領に対しては、呆然自失と同時に狂喜歓喜反応があり得たし、あらざるを得なかったのである。四五年の日記をフランス語で書いていた渡辺一夫は、あなうれし、日記を自国語で書ける時が来たという意味の言葉を書きつけた。
 三つの類型は互いに他を排除しない。同じひとりの人物が、生き延びたことを自ら祝い、一方で敗戦とそれに伴う外国の支配は不快に感じながら、他方で占領政策による解放感を味わった。たとえば私自身の場合がそうであり、それを例外的であるとは思わない。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
 占領国の制度や慣習が被占領国のそれよりも「先進的」であるとき、占領は被占領国社会に国家主義的反発と同時に解放感を生むことがある。連合軍によるドイツのナチズムからの解放、ナポレオン軍による北イタリアの占領と解放、遠くさかのぼればローマのヨーロッパ支配。
 三類型は特に日本の場合だけの現象ではない。日本に特殊なのは、早くも占領下で「冷戦」が始まり、それが戦後六〇年の日本の民主主義に独特の「ねじれ」を与えてきたということだろう。昔米国が「押しつけた」民主主義は米国批判の根拠となり、かつて米国と戦ったナショナリズムは日米同盟強化の動力となった。自民党はその「ねじれ」を代表して、戦後日本を支配してきたのである。
 しかし「ねじれ」支配は、いつまでも続くものではないだろう。かつての呆然自失組は、「冷戦」に適応し、「冷戦」を利用した。その「冷戦」の子たちはもういない。時代は変わろうとしているように思われる。自民党は参議院選挙敗北の日を、鮮やかにも、軍国日本敗北記念日の頃に選んでいた......。    (評論家)