[NO.443] 古本カタログ

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古本カタログ
編者 東京都古書籍商業協同組合
晶文社
2003年6月30日 初版

 東京古書組合の新しいビル、新会館竣工を機に、開館記念行事の一環として本書は刊行されたのだそうです。デザイン、レイアウト、写真、文章、どれをとっても水準が高い本。気合いが入っています。

エッセイ 未来の古本
坪内祐三/小沢信男/山下裕二/山口昌男/木下直之/北村薫/松田哲夫/森まゆみ/今江祥智/スズキコージ/恩田陸/近藤ようこ/黒崎政男/岸本葉子/宮家あゆみ/イシコ/永江朗

p64
ひとりになる場所      木下 直之
 仙台出張から家に戻った晩、カバンの脇に置かれた紙包みに家族の目が集まった。「いいものを見つけたよ」と言って、うれしそうに取り出す私の手元から、 『皇居の面影』(宮城県引揚者団体連合会、一九五五年)が姿を現したつぎの瞬間、妻も子たちもさあっと離れて行った。それは仙台名物の笹かまぼこでも、ずんだ餅でも、白松がヨーカンでも、午たんでも、生牡蛎でもなかったが、確かに 「いいもの」だった。
 宮城と呼ばれ、戦後は「城」であるという軍事色を嫌われて皇居と呼び変えられた旧江戸城が、どのように写真に撮られてきたかを追いかけ始めて、旅先では手当たり次第に古書店をのぞいて歩いた。
 『皇居の面影』は、間口二間ほどの古書店に入って右側、棚の一番上の段で埃をかぶっていた。背表紙のタイトルを目にした瞬間に心が震え、ついで裏表紙をめくって値段を確かめる時に指先が震える。これが古書店で古書を探す醍醐味にほかならない。
 そのどちらも、新刊書店では味わうことができない。何が新たに登場し、それがいくらするかは、書店に行く前に、すでになんとなく伝わっているものだ。それに、どの書店に入っても値段がいっしょなのだから、指先だって震えようがないではないか。
 古書に付けられた値段が思いのほか安かった時のこちらの動揺を、店主に見破られまいとするのがまた大変だ。「間違い」と言われたらどうしよう。努めて冷静を装って手に入れたあとの、あの足が地に付かない感じ、それをそのままで、あの日は家に帰ったのだ。
 古書店とは、本がそれを必要とする人が現れるまで、何年も何十年もじっと待ち続ける場所のことである。いくら埃をかぶっても、いくら日に焼けても、一向に気にしない。
 間口二間ほどの古書店、左右と奥の壁にびっしりと本が並び、真ん中にも島のように本棚が立ち、客はそこをぐるりと回り、奥に坐った店主がじろりとにらむ。さらにその奥には、住居部分が垣間見える。
 これが私の抱く平均的な古書店像であり、大きな古書店はあまり好きではない。店主にスキがなく、というよりも店主は店に出ず、相場外れの値付けというちょんぼを犯さないからだ。
 出入りする客は、そろいもそろってひとりだ。実際、ふたり連れや三人連れで古書店を回って、うまくいったためしがない。古書店はひとりで行く場所である。本がひとりで待っていてくれるせいもあるが、何よりもひとりになれる場所、ひとりであることを味わえる場所でもある。その楽しみを家族と共有しようなどとは、どだい無理な話なのである。
 古書についての一文を求められて、古書店のことばかりを書くのは、古書の未来はまったく心配しないが、古書店の未来には心配が多いためである。むろん、 私もインターネット上の古書店の恩恵を被らないわけではない。しかし、手当りしだいにパソコンで検索することと、手当りしだいに古書店を回ることとは、かける時間も手間も違う。それだけ、獲物を得た喜びの大きさも持続時間も違う。
 いうまでもなく、私の好きな古書店は風前の灯であり、すでに懐かしい風景となりつつある。ただ、それをいうなら、新刊書店もまた激しく変貌を続けている。大都市の巨大書店、たっぷりと駐車場を用意した郊外型書店、その両極化に無惨に引き裂かれる町内の書店、いずれもがどこへ向かうのかわからない。書店の姿は出版に左右され、同時にまた出版を左右する。
 「未来の古書になるであろう今の本」を問われて、思い浮かんだのは、一軒の新刊書店を店ごと買い取って封印することである。そのまま五十年か百年寝かせれ ば(出来ることなら店員も)、まるで石を金に変える錬金術のように、見事な古書群と古書店とが出来上がる。そんな店内をぐるぐると歩き回ってみたい。おそらく、今の古書店で、我を忘れて書棚の前に立ち尽くしてしまう体験が、実はそれに似ているのだろう。
 古書の方は、放っておいても大丈夫。古書は増えこそすれ、なくなることはないからだ。新刊書と古書を対等であるかのように考えることが間違っており、前者が後者に太刀打ちできるはずがない。新刊書は生まれ落ちた瞬間から古書へと成長を始める。
 本とは古書であると断言したっていい。(東京大学大学院文化資源学研究室助教授)
 
下手な感想なんぞはできやしない。それこそが野暮ってもんで。
 
一軒の新刊書店を店ごと買い取って封印。そのまま五十年か百年か寝かせれば(出来ることなら店員も)、途中略、見事な古書群と古書店とが出来上がる。そんな店内をぐるぐると歩き回ってみたい。
 如何にも、それこそ何遍でもぐるぐると歩き回ってみたいものです、そんな店があったなら。

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