こんな本があった! 江戸珍奇本の世界 塩村耕 社団法人 家の光協会 2007年4月1日 第1刷発行 |
p3
はじめに
この七年ほど、至福の日々を過ごしてきた。
愛知県西尾市岩瀬文庫は、日本有数の古典籍の宝庫として世に知られる。その新日録作りを西尾市より委嘱され、学生たちとともに全資料閲覧に取り組ませて いただいているのである。土日を含む毎週の数日、夏休みや春休みはほぼ毎日、朝から晩まで文庫にお籠もりをし、浮世のことを忘れ、多くは初めて目にする古 書たちを次から次へと繙(ひもと)いている。まさに古書三昧だ。
それがどんなに幸せな時間かというと、朝、文庫に入る、あっと気が付くと窓の外がもう暗くなっている、そんなふうにして一日が瞬く間に過ぎて行く(これ に対して、大学での会議は、時計の進行の遅いこと遅いこと)。そして、文庫の帰りに通る岩瀬文庫の森の景色に、四季の移り変わりを知る。論語の 「楽しみ て以て憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを忘る」というのは、こういう時間感覚なのかな、とも思う。
そこでは、じつにさまざまな書物と出合う。たとえば幕末明治を生きた山伏の自叙伝、あるいは伊勢神宮神官の紛争の記録、あるいは琉球王朝時代の沖縄諸島 の林政書、あるいは東北地方の山間の伝説を伝える地誌などなど、自分で本を選んでいたならば、絶対に見る機会がなかっただろう古書たちも多い。もちろん、 それらも全部日を通す。そんな体験を積み重ねていると、本の神様の啓示か、発明するところが多々あった。資料や書物に対する考え方も変わった。そして、大 げさに言えば人生観が変わった(それらの一端を、本書の冒頭部に開陳しておいた)。
その間、珍にして奇なる古書たちの存在を知った。それまで、こんなものがあろうとは思いもかけなかったたぐいの資料群だ。そんな嬉しい発見を独り占めし ていたのでは、世間に申し訳がない。そこで、少しだけでもお裾分けをさせていただこうというのが、本書刊行の趣意である。
それらの古書たちは、おそらく誰も――研究者でさえ――存在を知らなかった、初めて世に出る資料が多いはずである。
日本にありとある文化遺産の中で、最も重要なものは言語と書物である。言語はコミュニケーションの具として大事であるだけでなく、その中には過去の日本 人の世界観が詰め込まれており、資料としても貴重だ。また、書物は、昔の人の思想や文化について、文字に頼らないさまざまな資料にくらべて、はるかに多く のことを直接語ってくれる。
ところが、世の中には、あんまりたくさんあり過ぎるために、かえってないがしろにされるものがあって、書物はその代表だ。やっかみ半分で言うのだが、古 代の遺物、たとえば絵や文字の書かれた土器が発掘されると、新聞の一面に写真入りで大きく報じられるのに、書物の世界で新発見があっても、まず報道される ことは少ない。現代人の生活や文化にとって、こちらのほうがはるかに関係が深いというのに......。
先人の配慮のおかげで、日本には豊富な古典籍が残されている。ところがその中で、明治以降、翻刻(ほんこく)(活字化)されたものは、全体の何百分の一 に過ぎないだろう。とうぜん、昔の事物について少し専門的に調べようとするならば、古典籍に直接よらなければならない。とりわけ、多くの資料が残されてい る「書物の時代」 である江戸時代については、なおさらのことだ。
にもかかわらず、研究者や学生さえ、そういった資料を手にとって仕事をする人がどんどん少なくなりつつある。細分化に由来する学問の全般的な浅薄化と、同時代的要請ばかりに目を向ける極端な実学重視の風潮が、その背景にあるのだろう。
学生時代にある先生から、「本を食(は)む虫たちにとっての大敵は、人間の吐き出す息である」という話を聞いたことがある。これは、毒ガス並みの口臭が 虫どもに威力を発揮するという意味ではなく、書物を読まずに死蔵してはいけないという教訓だ。そのような意味でも、日本の古典籍の将来が心配である。
ここに紹介するような珍奇本が、まだまだたくさん、各地の文庫の中で深い眠りについているに違いない。彼らを目覚めさせて世に送り出すような仕事をしてくれる人、文庫の探索者たちが続出することを願っている。
平成十九年二月
塩村 耕
日本初の 古書ミュージアム 西尾市岩瀬文庫 だそうです。
コメント