子供より古書が大事と思いたい 鹿島茂 青土社 1996年2月20日 第1刷印刷 1996年3月1日 第1刷発行 |
彼の有名な名著です。バブル期、家と土地を担保に入れ、銀行から借金をしてまで、フランスの古書店から本を買いまくったという話には、胸を......。
めずらしいことに誤植が2箇所あることに、気づいてしまいました。当サイト内は誤字脱字誤植だらけですが。
P159
マダムDの店の『十九世紀ラルース』は、この赤本よりもはるかに状態の良い堅牢な自家装幀本だった。おまけに、四つの角にもちゃんと革がついている。紙も黄ばんでいない。これは、『十九世紀ラルース』としては、 望みうる最高の本である。この装幀なら一生使っても背が崩れることはあるまい。これはどうあっても買わなければならない。問題は値段だ。私は、マダムにたずねる前に、心の中で方針を立てた。一万二千フランまでなら買い、それ以上なら、一万三千フランまでねぎってみる、というものである。
マダムの口から数字が漏れた瞬間に、私は耳を疑った。Six mille francs シ・ミル・フラン。なんと、わずか六千フラン。ただし、お持ち帰りに限るという条件つきである。マダムは自分が年をとっているので、こんな重い本を郵便局まで運ぶことはできないという。私が乗ってきた車は、初代のホンダ・シビックなので、正直言って、持ち帰るのは少々きついが、この金額であれば文句はいえない。即座にOKだと答えた。明日トゥールを発つ前に取りにくるということで話が決まった。
ところが、翌日、この『十九世紀ラルース』をシビックに詰め込もうとすると、困ったことが起こった。シビックのトランク・ルームは極端に狭いうえ、すでに、大型のトランクと小型のバッグを二個積んでいる。『十九世紀ラルース』は、最軽量の巻で三・五キロ、一番重いものは五キロを越える。平均四・五キロにして全十七巻だから、七十五キロはゆうにある。大柄な大人一人が乗り込むのと同じ重量である。だが、シビックは意外に馬力はあるので、これはなんとかクリ アーできるかもしれない。
困ったのは、これを積み込む空間である。トランク・ルームには五冊までしか押し込むことはできない。とすると、残りは、子供二人が座っている後部座席ということになるのだが、やってみると、九冊のラルースが完全に一人分の座席を占有した上、残りの三冊がもう一人分の座席にもはみだしている。さて、弱っ た。二人の子供を乗せる空間がなくなってしまった。時間があれば、ラルースを梱包して郵便局からパリの自宅に送るという手もあるが、旅先では梱包材料もない。どうしよう。いっそ、ラルースはシビックで運んで、子供たちは、女房と一緒に先に電車で帰らせることにするか。だが、女房は、日本にいてさえ方向音痴で一人旅ができない人間だから、トゥールから子供と三人でパリまで帰れと言っても納得しないだろう。「あなたは、子供より古本が大事なの!」と言って後々 まで非難されること確実である。しかたがない、こうなったら、下の子を女房に抱かせて助手席に乗せ、上の子供は、ラルースの上に座らせておくことにしよ う。不自由だろうが、これ以外の解決策はない。
かくして、困難な旅が始まった。トゥールのあとは、ランジェ、アゼ・ル・リドー、ソミュールの城を見学してから、アンジェに泊まるという日程を組んでい たのだが、いかにシビックでも、七十五キロの加重は相当にこたえたようで、スピードがいっこうにでない。上り坂は、オーチマチックのローに入れて、やっとこさ上りきるしまつ。ほとんど「機関車ヤエモン」である。反対に、下りは、加速がついているから、まるで奈落の底にでも落ちていくような感覚である。それでも、何回か坂の上り下りを繰り返しているうちにコツを覚え、下りで目一杯百五十キロまでスピードを出してからその勢いを利用して坂を上れば、途中まではドライブのポジションで行けることがわかった。ただ、困ったのは、下りでスピードを上げすぎると、息子が上に座っている後部座席の三冊のラルースが崩れてくることで、そのたびに息子は、私の席の背もたれに手を置いて体を支えなければならない。まったく、子供たちにこんな不自由な思いをさせても古本を買い込まずにはいられない父親というのは、いったいどんな野郎なのか一目顔を見てみたいものである。
以下略
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